月別アーカイブ: 2月 2008

TWiT 133: Jonathan Coulton

今回のTWiTはJonathan Coulton特集。

今回のTWiTのきっかけとなったLeo Laporte, Merlin Mann, Veronica BelmontとJonathan CoultonがRock BandでStill Aliveをプレイしているビデオも見たけれど、名の通った大人4人がゲームをしている姿はやっぱりゲームをしている姿以外の何者でもなくて、ちょっとおかしかった。でも歌の歌詞にちなんであとでケーキがでてきたり、とても楽しそうだ。TWiTもそのときの興奮の余韻がまだ残っているのか、とてもいい感じで楽しかった。それに話題の中心が未来を見据えたこれからの作者のあり方という前向きなものだったからというのもあるかも。

ニッチという言葉が何度もでてきたけれども、情報やコンテンツを発信するための敷居が格段に低くなって、また求める情報を検索する技術が格段に発達したことで、以前なら成り立たなかった小さなスケールでも活動を継続、維持できる可能性がでてきたわけで、このJonathan Coultonのケースなどがいい例だと思う。

もちろん以前のように発信手段を寡占していることを利用して、世の中を一色に塗りつぶしてしまうような大きなヒットを作り出すことは難しくなっただろうけれど、それは良いことではあっても決して悪いことではないはずだ。物理媒体に記録したものを大量にコピーして販売するというモデルも大して歴史がある訳でもなく、もちろん変化に痛みは伴うだろうけれど、環境の変化に抵抗しても仕方ないだろうと、DRM関連のニュースを聞くたびに思う。まあ他人事なので勝手なことを言ってますが。

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Nova: Judgement day

Intelligent designをScience Classのカリキュラムに含めようとしたSchool Boardを巡る裁判のお話。

その裁判の話にとどまらずに、その裁判の中で問われた科学とは何かという問いにまで踏み込んでいるのが良かった。
進化論がどのように150年間の検証に耐え、また新しい発見を導いてきたかを検証してゆく下りは圧巻。科学教育のとても良い教材になっていると思う。

科学番組なので当然進化論側からの見方で番組は貫かれていて、実際に番組からに印象で受けるほど明確に進化論側の勝利で終わったのかは知らないけれど、現代に生きる一市民としては実際に明快な勝利で終わっていることを希望するところ。

この科学の成果物に囲まれた生活の中で、進化論や科学のの原則に背を向けるのは、生活を構成するある一部を理解することを拒否している訳で、とても悲しいことだと思う。信心を持たない私には理解できない理由があるのだろうけれども。

Too many screws

日経Tech-OnのMacBook Air分解記事について、いくつかブログポストを見かけた。

Life is beautiful

Ars Technica

ネジの数が多すぎるとか、無駄だらけだとかの記事内の意見が、実際に当たっているのか、それともそのような見方しかできないからどれも代わり映えのしないものになってしまうのかはわからなけれど、自分たちの作る物が技術的にもっとよくできたものなのであれば、なぜそれが同程度かそれ以上に話題になっていないのかを考えなければいけないのだろう。

自分がApple製品を買うときにも、造りの良さは決して期待していない。製造がアウトソースされているのを知っているし、今使っているMacBookにしても作りがいいとは決して思わない。でもキーボードのタッチなど肝心なところは外していないし、ただ機能を寄せ集めただけでなく、作り手のビジョンが感じられるところが自分にとってのApple製品の魅力だ。Airの場合でも、自分の興味を引くのはその薄さを実現した技術よりも、ポートを最小限にしぼり、さらにはそれを隠してしまったことにより手に入れたそのたたずまいの方だ。

Blu-Ray

東芝のHD-DVD撤退の発表で、次世代DVD市場はBlu-Rayが独占することが決まった。これでやっと規格分裂のための買い控えから解放されて、Blu-RayのHDソフトを安心して買って楽しめることになったけれども、そんなふうに明るい話題としては自分は受け止なかったし、テクノロジーニュースを聞いていても、そのような面は指摘されるとしても、基本のトーンは苦いままだ。

一つには撤退という敗北のニュースだからというのもあるだろうけれど、もともとBlu-Ray対HD-DVDの争いは、すでに開拓された巨大な市場の金を巡っての争いで、新しい技術で新しい市場を開拓しようとしているわけではないので、テクノロジーの側面で興味を引く点が少ないこともあると思う。もちろんそれを可能とする個々の技術はすごいものだけれども、結局のところ工場で大量生産された物理メディアが流通網に乗り、消費者はそれを小売店に買いに行って、持ち帰って家で消費するというモデルはDVDと全く変わらない訳で。

すでに音楽ソフトの物理メディアでの流通は縮小に向かい、オンデマンドでの配信やダウンロード販売も始まっている中で、小売店にソフトを買いにいく、またはオンラインで買って配達されるのを待つ、というモデルがどれだけ魅力を保つことができるか。もちろんBlu-Rayの容量をオンラインで配信できるようになるにはまだまだ時間はかかるだろうし、高画質を追求するマニアにとってはBlu-Ray以外の選択肢はないだろうけれども。でもひどく圧縮されているためにブロックノイズなんかが乗っているけれど、リビングのテレビ画面で購入してすぐに見ることができるのと、画質は文句なくきれいだけれど、小売店に出向いて買ってこなければならないものを比べたときに、後者を選ぶ層がいったいどれだけいるのか。

光学メディアによる流通はいずれは消え行く技術で、ネットワークでの配信がいつかは主流になるわけで、もしBlu-Rayの普及を待たずにネットワークでの配信が主流となるとすれば、じぶんにとってはそのほうがエキサイティングだ。

それにしても聞こえてくるソニーのイメージはよくない。ソニーは昔はすごかった会社であり、独自の規格を自分の顧客に押し付けて、顧客を困らせる会社だ。さすがにハードウェアの出来の良さは認められているけれども、独善的だとか強欲だとか、そんなことばかりが聞こえてくる。自分にとってもソニーの製品で今興味を引くのはPS3くらいのもので、ほかのものは特に競合他社の中からソニーを選びたいと思うものはない。

Airの薄さの意味

TekzillaでMacBook Airを見て、またちょっといいなあと思ってしまった。

あの、1枚と数えたくなる見た目の薄さはやっぱり魅力的だ。
新しいUSBキーボードのときにも感じたけれども、薄くなることによってモノとしての存在感はだんだん消えていき、あとには人とのインターフェースとなる画面と入力デバイスの機能が、より純粋な形で形となる。
自分にとってのAirの魅力はノートパソコンというコンセプトがそのまま具現化したようなたたずまいにあるし、そのたたずまいのためにはポート類を最小限にし、さらに隠してしまうのは必然だったのだろう。
MacBookも自分の先代機であるThinkpad R30に比べれば十分に薄いけれども、サイドのポート類や、その厚み、重さにまだその機能を支える部品たちの存在を感じてしまう。

Apple TV Version 2.0

遂にApple TVのソフトウェア Version 2.0の配信が開始されたので、早速インストールしてみた。

なんといっても目玉はHDコンテンツのレンタルなので、とりあえず安い旧作の中から一つ借りてみようと選んだのが、Bloody Sunday。720pの映像とともにDolby Digital 5.1の音声も今回のアップデートの売りの一つだけれど、特に旧作の中ではDolby Digitalに対応しているコンテンツが少ない。字幕対応しているものとなるとさらに少なくて、HDコンテンツ自体の充実とともに、この辺りは今後の拡充に期待しよう。

ダウンロードにどれくらい時間がかかるのかも興味のあるところだったけれど、数分で再生開始できますの表示がでた。そこでそれから30分ほど見たけれど、再生が途切れることもなく視聴は問題無し。

ただよく知らずに借りたBloody Sundayが、ドキュメンタリー風の粒子の粗い映像で、HDのクオリティの確認にはあまり向いていなかったことが判明。ついでに英語がイギリス英語で(多分)聞き取りがかなり自分にとってつらく、字幕もついていないので、途中で見るのを止めてしまった。明日は24時間の期限が過ぎた場合にどのようになるのかを確認してみよう。

Laptopの効用

自分にとってのLaptopが最も輝くのは、リビングのカウチでゆっくりしながらこうやってブログのエントリーを書いているようなときだ。机に向かう必要がないことが、とてもありがたいときが確かにある。また背もたれに深くもたれかかって考えることと、前のめりに画面に向かっているときに考えることは少し違う。

デスクトップマシンのパフォーマンスも魅力的だけれども、ノートパソコンのこうやってカウチに持ち出せる魅力とどちらかを選べといわれたら、おそらくノートパソコンを選ぶだろうなあ。今はノートパソコンのペナルティもそんなに大きくないし。